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最高裁の毅然  1審、2審破棄の「体罰」無罪判決

 「新型インフルエンザ発生」のニュースに、4月28日付各紙夕刊は大きく紙面を割いている。当然だが、その影響で、比較的に小さい扱いになってはいるものの、最高裁は1審、2審の有罪判決を破棄して「体罰」に対する初判断として、

 胸つかみ壁に押しあて/最高裁、体罰と認めず/原告逆転敗訴(読売新聞夕刊)

という勇気ある、そして、毅然とした判決を出した。小2男子児童を追いかけ胸をつかみ壁に押し当てた「行為は教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰ではない」と判示した。懲戒と体罰の違いについて具体的な事例に対して初めて判断したことに対し、最高裁に敬意を表したい。最近の大学教授に対する痴漢冤罪事件でも、1審、2審を破棄しての逆転無罪判決を最高裁は出したのに続く名判決だ。最高裁は、このところ最終審としての良識を示したと評価したい。裁判員制度がまもなく始まることに対して、明確なメッセージを出しておきたいという最高裁の強い意志の表れであろう。

 学校教育法第11条には「生徒、児童、学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と書かれている。今回の判断は、どこまでが教育的な指導のこらしめ、懲戒で、どこからが肉体的な苦痛を与える体罰なのか。その判断基準を具体的な事例で示したものと言えよう。この背景には現場教師がどこからが具体的に体罰になるのかにとまどい、事なかれ主義で児童・生徒に接し、結果的に児童・生徒を甘やかすことにつながり、懲戒による教育効果を著しく低下させているという現状認識があろう。今回の判決で最高裁は、教育現場に対し必要以上に、児童・生徒におもねる必要はない、保護者に対しても臆することなく、毅然として接してほしいというメッセージを送ったもの考えたい。

 そのメッセージとは、まとめると、次のようになる。

 ① 子どもをたたくなどの肉体的な苦痛が伴うこらしめという意味の懲戒は、法の禁止している体罰にあたる。

 ② しかし、胸をつかむなど力を行使しても、肉体的な苦痛を伴うものではない「しかり方」は、法の定める懲戒の範囲内に当たり、認められる。体罰には当たらない。

 ③  言葉の持つ力でしかるというのが、教育的な指導の理想であり、法が想定した当初の「懲戒」である。(しかし、声をあらだてて子どもの欠点をとがめるにしても、つまり、しかるにしても、脅迫は明白に犯罪である。)

 これらを考慮して、今回の判決は、教育現場の実態、その実態が時代とともに変化することを示唆し、杓子定規な一審、二審を退け、③の理想ではなく、②も認められるとしたという点が画期的であり、印象的である。現場教師に勇気を与えるだろう。

 論説委員としての意見は、次のようなものである。

 社会生活を送る上で、正しくないことをした子どもに対して、怒りのない教師は教育者ではない。それは、教える機械である。ちょうど、正しいことをした子どもをほめる心のない教師は教育者ではないのと同様である。今回の判決によって最高裁はこのことを強く現場教師に伝えたかったのだと思う。2009.04.28

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