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米国の「復活」  さらば強欲資本主義

 3月5日付朝日新聞「経済気象台」の「瞬」子も、NHKスペシャル「プーチンのリスト」の番組を見たらしく、番組を題材にして「健全な資本主義」と題したコラムを書いている。少し長いが、引用すると、

「ベルリンの壁と共に、資本主義に対してチェック機能をもっていた社会主義が衰退し、歯止めを失った資本主義の暴走が始まった。今は米国の金融破綻、世界同時不況で急ブレーキがかかっている。シティグループが国の資金で救済され、国有化に近い状態になると共に、GMも国が救済せねば破綻する。(中略)  そのように国に救済してもらわなければ成り立たない「市場経済」の欧米に対比すれば、日本の資本主義ははるかに健全と言える。(中略)  元々社会主義的資本主義とも言われたように、日本の資本主義は社会的な利益や公平感に配慮してきた風土もあったからだろう。世界同時不況からの脱却や、その後の新しい軌道のつくり方において、日本は強欲資本主義のあかを落としながら、その特徴を生かせば今後の世界にとって大切なモデルになる可能性がある。」

 歯止めを失って暴走し始めた結果、「金がすべて、いかに儲けるか」という強慾資本主義が跋扈するようになり、米国では金融が破たんし、それに続く世界同時不況が発生した。ロシアでは、資本主義は国家が統制する資本主義、つまり、国家資本主義へと変質しつつあるというわけである。

 ところで、「歯止めを失った資本主義」と書いているが、この場合の歯止めとは何かについては、「瞬」子は、一言も言及していない。この点について、いろいろ考察してみた。その答えが、現在、NY在住でウォール街にかかわって25年以上になる投資銀行家、神谷(みたに)秀樹氏の

 「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(文春新書)

に、明確に書かれていた。同氏によると、「歯止め」とは、

「長い間、金融業に携わったうえで、私自身信条としてきたことがある。それは、『金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべきだ』ということだ」

 この歯止めを失った強欲資本主義は、神谷氏によると、金融機関などの金融資本家が主役になり、お金がすべて、合法なら何をやってもいい、ずる賢く、あこぎなビジネスと化してしまったと嘆いている。強欲資本主義の牙城がウェール街だという。

 「瞬」子は、強欲資本主義の「あか」とは何か、また、生かすべき強欲資本主義の「特徴」とは何かについては、ふれていない。神谷氏は、

日本の伝統的な価値観である「勤労を重んじ、信用を旨とする」経済社会

を目指すべきであると助言している。ウォール街に長く携わってきた投資銀行家であるだけに示唆に富む指摘であり、これが健全な資本主義のあるべき姿ではないか。こうした倫理観が守られる社会を前提に、「神の見えざる手」は機能する。逆に言えば、こうした価値観がない社会の市場経済は、神もお手上げなのである。今回の経済危機はこのことを如実に示したと言えよう。

 ただ、注意すべきは、こうした経済社会の土壌は、実は、封建社会を経て資本主義を取り入れた社会には受け入れられやすい点だ。「勤労を重んじ、信用を旨とする」倫理観は、封建社会で醸成されるからだ。その点、ロシアはもちろん、米国も歴史的に主従関係を基本とした封建社会を経験していないことから、歯止めのない資本主義に走りやすい。これに対し、競争原理が働く市場経済であっても、日本では武士道精神、西欧では「一人は万人のために、万人は一人のために」などの騎士道精神という封建社会の倫理観がともかくも根付いていて、それが歯止めとなり、資本主義の暴走は起こりにくいと言えるだろう。

なお、「信頼や契約を重視するとか、仕事に対する誠実な態度といったエトス(社会心理的態度)の役割を強調した」論考に、少し古いが、現代ロシア論が専門の袴田茂樹青山学院大教授(当時)の

 1998年9月11日 付「日経」「経済教室」ロシア危機-「低信頼社会」の脆さ露呈」

という論考がある。袴田教授は、「つまり、名誉、信義、義理などを重んじるエトスは契約や信用を重視する近代市場社会の基礎となった」と強調した上で、当時の投機的な金融に振り回されていたロシア危機を打開する経済と国家を再建する道について、次のように述べている。「一般論として、低信頼社会でも一定の条件があれば(長期的な)産業投資は可能だ」として、第一に、「国家権力や行政権力の強力な介入だ。社会主義経済、統制経済、開発主義や国家による産業保護などがこれにあたる」としている。現在の「プーチンのリスト」に象徴される国家資本主義の出現を的確に予測している。

 もう一つ、二十世紀前半まで機能していた社会主義経済がなぜ八〇年代になると衰退し崩壊し始めたのか、という問題に切り込んだ論考に、国際経済学者のポール・クルーグマンMIT教授(当時)の論考、

 1997年9月3日付「日経」「経済教室」-「利己心、市場の勝利導く」

がある。その理由として、技術進歩やグローバル化に対応できなかったためではないとした上で、人々がそのシステムを信奉しなくなったという精神の問題があったと指摘している。市場経済では、信奉しようが、しまいが、市場原理は「神の見えざる手」によって機能するのとは大きな違いであるという。それでは、なぜ社会主義を信奉しなくなったかについては、クルーグマン教授は明言していないが、官僚の賄賂腐敗、共産党員の堕落、密告社会、極端なコネ社会に民衆はうんざりしたからだろう。共産党の一党独裁の先に、すべての人に平等で豊かな生活が保障される共産主義経済が実現するというのはウソだということに国民が気づいたとき、社会主義の崩壊が始まったのだ。その意味で、資本主義システムが社会主義システムより優れていたから、資本主義が勝利したわけではないことに注意すべきであろう。資本主義のシステムは人々が信奉しようがしまいが、機能する。それだけに恐ろしいのは、資本主義の歯止めを失った「強欲資本主義」の野放図な席巻が、「ウォール街の自爆」だけでなく、アメリカという国家を、あるいは世界をも自爆させる結果をもたらすのではないかということだ。今の世界同時大不況は、そんなことを予兆させる。歯止めが利かなくなった場合、強欲資本主義の暴走を食い止める新たなるセーフティーネットが要るのではないか。規制だけでは十分ではない。もっと根本に立ち返らなければ、米国の再生はないのではないか。

 そこで思い出されるのが、かつてマックス・ウェーバーが、資本主義成立の背景として、プロテスタンティズムの倫理を指摘したことだ。今、強欲資本主義が跋扈するアメリカは、一度、高信頼社会の倫理として新教の倫理に立ち返ることが必要ではないか。オバマ新大統領がこのことに気づき、資本主義を自爆の淵から救い出せるかどうか、注目されるところだ。

 ここまでは、競争原理を前提にした論議であったが、これに対し、競争原理そのものに疑問を呈する専門家もいる。経済評論家の内橋克人氏は、最近のNHK番組「その時歴史は動いた/世界恐慌はなぜ起きた」(3月4日放送)に出演し、今回のような未曾有の経済危機の克服の知恵として、

 (地域との)共生の経済  競争原理の市場経済を超えて

という提案をしていた。内橋氏の数年来の持論であり、さらば資本主義というわけだ。しかし、これは、かつてトルストイが夢見た「ユートピア共産主義」につながりかねない幻想、そういって悪ければ、広く世界に通用させるには限界がある。共生経済学については、内橋氏の

『共生の大地 新しい経済学がはじまる』(岩波新書)

に実践例なども紹介されている。

 

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