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ざんげの値打ち 資本主義はなぜ自壊?

「あれは二月の 寒い夜」で始まる北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」ではないが、最近のこの大不況で、ざんげの値打ちもないエコノミスト、経済学者の手のひらを返したような経済書が本屋の店頭に押し合いへし合いしながら並んでいる。うんざりである。景気が良くなれば、また、手のひらを返したように、バスに乗り遅れるなとばかり、時流に乗った本を書き殴る。これまた目に見えるようで、うんざりである。まるで、

 余の経済書には、懺悔([ざんげ)という言葉はない

とでも言いたげで、不遜で、無節操だ。そんな中、経済理論が専門で、功成り名を遂げた経済学者が、ひとり最近、書き下ろしで

 『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社)

というタイトルで「懺悔の書」を上梓している。中谷巌氏である。今、自壊し始めた理由を先に言ってしまえば、すべては自己責任において市場原理に委ねるという新自由主義の思想に、中谷氏を始め、だれもかれもがかぶれた揚げ句、グローバル資本主義という手に負えないモンスターが徘徊し始めたからだという。このモンスターに対抗できる、いわゆる「天敵」はもはやおらず、世界経済の不安定化、経済格差の拡大化、地球環境破壊の深刻化という副作用が取り返しがきかないまでに増幅されようとしており、世界経済は自壊し始めていると中谷氏は言う。中谷氏の経歴は、

 一橋大学経済学部を卒業後、日産自動車入社、米ハーバード大大学院経済学研究科博士課程を修了、大阪大助教授、一橋大教授、ソニー取締役、多摩大教授、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長、多摩大学長、全国社外取締役ネットワーク代表、一橋大名誉教授。著書も、一般書だけでも『痛快!経済学』、『入門マクロ経済学』『eエコノミーの衝撃』、『プロになるならこれをやれ』、『次世代リーダー学』、『プロになるための経済学的思考法』、『愚直に実行せよ 人と組織を動かすリーダー論』。受賞歴では石橋湛山賞。

 となっているから、若き日のアメリカでの研究、そして豊かな生活経験を考えると、同氏がアメリカかぶれになるのも無理はない。経済理論学者として当然持ち合わせていなければならないアメリカ経済を客観視できる目、批判する目が失われていたのである。

 だから、モンスターに天敵がいないということを認識するならば、人々の手で怪物の動きを拘束する何らかの有効な鎖を作り上げることができるかもしれないと、懺悔の書を締めくくっている。要するに、欲望の肥大化に対して自制する精神を持つ努力をすることがこれからの行動原理であるとしている。

 こうした懺悔の書を書くようになったのには、「キューバ社会は貧しいながらも一体感を持ち、キューバの人々が生活に満足を覚えている」という中谷氏の分析がある。医療制度などを通じてキューバ国民は社会的なつながりを維持している。「キューバが医療立国を目指した根底には、キューバ社会全体の一体感、幸福感を高める狙いがあった」という。たとえ、病気になったとしても、社会から見捨てられることはないという安心感が社会を貧しいながらも安定化させた。アメリカはキューバの数十倍の国民一人あたりの国民所得を持ちながら、国民皆保制度がないのとは対照的であると中谷氏は指摘する。

 自壊を押しとどめるには、自由の一部を統制に委ねる覚悟が必要であり、欲望の肥大化に歯止めを掛ける自制の精神を持つように努力することがこれからの行動原理だと最後の部分で中谷氏は提言している。

 自由には責任が伴うという当然の倫理感を忘れたところに、資本主義が自壊を招いた原因があるというのが私の意見である。以前にもこの欄で書いたが、アメリカにはヨーロッパの騎士道精神、日本のような武士道精神という倫理観がなかったことが資本主義の暴走を許したと思う。こうした倫理観は、主従関係で成り立つ封建制度の中で育まれ、高信頼社会を形成する。アメリカには高信頼社会の基盤がなかった。それと、中谷氏は、自由を一部統制に委ねる覚悟が必要だとしている。しかし、まさか、社会主義計画経済に戻れと言っているわけではあるまい。また、キューバをみならえというわけでもあるまい。具体的なヒントがこの懺悔の書にないのは残念である。

 中谷氏の懺悔の書にはサブタイトルとして「『日本』再生への提言」と書かれている。失われはじめた社会の一体感を取り戻し、将来への不安感を払拭するには、基礎年金の財源を税方式にすることだと提言している。そのほか、日本経済再生のカギは、国ではなく、地方分権であるなど、これまでに散々言い旧されてきたことが列べられており、新味に欠ける。日本再生の提言とサブタイトルをつけるほどのものではないと思う。

 中谷氏は、戦前痛烈に資本主義を批判したカール・ポラニーの『大転換』を引用し、資本主義とは社会を分断させる「悪魔のひき臼」と書いている。再生不可能なことから、本来取引対象とはならないはずの労働、土地、貨幣(疑似貨幣としての有価証券を含む)を取引対象として市場という「ひき臼」ですりつぶしたという。それを天使のひき臼にするにはどうすればいいのか、労働、土地、貨幣それぞれについて、グローバル資本主義者から「転向」するにあたって理論経済学者らしい提言がもっとあっていい。

 反省するだけなら、サル、いや、これからの転向者としての中谷氏の本格的な提言を期待する。2009.03.30

 

 

 

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