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久能山東照宮御遺訓  人の一生

  家康が将軍秀忠に与えた天下政道についての訓戒というのがある。死の一年前の元和元年(1615年)、秀忠の遣いで駿府に赴いた井上主計頭が家康からこの訓戒を授かったと言われている。これが後に、和綴じにして「東照宮御遺訓」として知られるようになった。JR静岡駅南口にその内容の一部が石塔に刻まれている。現代にも通ずる言葉であり、ここに以下の通り、紹介しておきたい。

 人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し急ぐべからず不自由を常と思えば不足なし心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし堪忍は無事長久の基怒は敵と思へ勝事ばかり知りて負ける事を知らざれば害其の身に至る己を責めて人をせむるな及ばざるは過ぎたるよりはまされり李

               家康 慶長八年(1603年)正月十五日

 及ばざるは過ぎたるよりはまされり、というのは慎重居士の家康らしい名言だと思う。とかく現代でも、やり過ぎたり、出しゃばりすぎたりして、失敗することが多い。少し足りないぐらいがちょうどいい、という助言だろう。

 この遺訓が書かれたのは、関ヶ原の戦いから3年後の1603年だから、とりわけ、勝って兜の緒を締めよ、という意味を込めて、正月にあたって文章にして自らを戒めたものであろう。また、この遺訓をしたためた直後の3月に将軍職に就いているから、将軍職としての心得にもしたかったのだろう。しかし、将軍職をわずか2年ですぐに息子、秀忠に譲ったのは、政権がまだまだ安定していない上、豊臣家への遠慮もあり、やり過ぎは危険であると悟ったからかも知れない。ただ、これには今後、将軍職は徳川家が世襲するのだという家康の意志を明確、かつ具体的に天下に知らしめるというしたたかな狙いもあったであろう。

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