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花はさくら木 人は武士  桜木考

 「花はさくら木、人は武士」ということで、年度末の陽気に誘われて、浜松城公園(浜松市中区)の花見に出かけた。天守台真下の本丸跡では、家族連れ、近所連れの花見客が大勢いて、にぎわっていた。花は五分咲きくらいで、四月上旬が満開であろう。いずれも明治以降に植えられた、あるいは戦後に植えられたソメイヨシノであろう。この桜木の寿命というのは、一説に60年ぐらいとされている。しかし、120年ぐらいは大丈夫、花も咲くという。青森県弘前市の弘前公園のソメイヨシノは樹齢120年をこえた今も立派に花が咲く。

 そんなことをさくらの下で考えていたら、「日本三大桜」というのがあるそうだ。山高神代桜(エドヒガン、樹齢約2000年、山梨県北杜市)、三春滝桜(ベニシダレ、樹齢約1000年、福島県三春町)、薄墨桜(ムレヒガン/ウバヒガン/エドヒガン、樹齢約1500年、岐阜県本巣市根尾谷)である。弥生時代人や平安時代の人も、見ようと思ったら見ることができた桜木である。いずれも今も花を咲かせているのだから、その生命力はすごい。新品種のソメイヨシノではそうはいかない。

 浜松城公園内にある浜松市美術館に久しぶりにのぞいて見た。静かな館内では「季節を描く日本画展」が開かれていた。浜松市出身の日本画家、栗原幸彦氏の見事な老木桜「爛春(らんしゅん)」(2007年)が展示されていた。バックは黒。そこに浮かび上がった無数の淡いピンクの五弁の花びら。縦二メートルくらい、横三メートルくらいの紙カンバスに描かれており、迫力十分である。薄墨桜を想像させる。おそらく「夜桜」のイメージであろう。これを見ていると、動物に比べて、なんと植物の生命力は長く、しかも強いのだろうという感慨に浸ることができる。永遠の命を宿しているとさえ思える圧倒さがある。この絵を見ていると、永遠の時を生き続ける桜木の力強さを感じざるを得ない。

 そんな豪華な絵画を楽しんだ後、静岡新聞夕刊(3月26日付、土曜日)を見ていたら、囲み記事に、首都ワシントンで、恒例の桜祭りがポトマック川のほとりの桜並木で開かれたというニュースが出ていた。あちらも、桜の開花は平年並みで五分咲きだという。この桜は、富山県高岡市出身で石川県金沢市にもゆかりのある高峰譲吉博士が日米親善の証として1912年に贈呈したものであることを知っている人は、もう少なくなっている。 

 蛇足。

 浜松城天守台真下の本丸石垣に囲まれるようにして、ひっそりとたっている石碑を見つけた。石碑にはこう刻まれている。

 「朝日両国永久親善萬歳 朝鮮民主主義人民共和国 帰國記念植樹 一九五九年十二月 在浜松朝鮮公民一同」

 今から、ちょうど五十年前、ここには、「平和で天国のような」北朝鮮に帰ろうという運動の中で、北朝鮮に喜び勇んで帰っていった人たちの願いが込められている。しかし、今、その北朝鮮から、人工衛星を上げるのだと言って、弾道ミサイルを日本上空に発射しようとしている。航空自衛隊浜松基地からは、もしもの事態に備えてミサイルを打ち落とせるよう、パトリオット(PAC3)部隊が車列を組んで、軌道直下にあたる秋田県に向かおうとしている。

 歴史はかくも非情である。数千年の歴史を超然として見続けてきた桜木。今、何を思っているのだろうか。 

  浜松は出世城なり 初かつを (花の舞) 2009.03.29

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