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『もの思う鳥たち 』   主体性の進化論

 このタイトルのついた近著(日本教文社発行)を何気なく手に取り、面白そうだと購入し、読んでみた。読んで、キリスト教圏の欧米では

 なぜ、今西錦司の『主体性の進化論』が受け入れられないか、

という理由がようやく分かった。人間以外の動物や植物には、物を思ったり、感情を持ったり、合理的にものを考えたり、ましてやそれらのことを主体的に行うなどということはないという偏見があるからだ。上記本のサブタイトルは「鳥類の知られざる人間性」となっており、歴とした米社会心理学者が書いた科学書である。この本の著者、セオドア・ゼノフォン・バーバー氏は、勇気を持って、擬人化という人間中心主義という陥りやすい陥穽をたくみに回避しながら、この偏見に挑み、慎重に鳥たちの「心の世界」を解明しようとしたのである。鳥たちは、あらかじめプログラムされたロボットのように、機械的に環境に対応、あるいは振り回されているのではなく、環境に適応するために臨機応変に知恵を出し、主体的に生きている。

 私の結論を言えば、鳥たちにも主体性をもって変化する環境にたくみに適応しようという主体性があるということを読者に納得させるという、その目的はおおむね成功しているように思う。鳥たちにも主体性があり、そのことが、数億年の歳月を生き延びてきた原動力であろう。

 主体的に環境にかかわることで、肉体的にも自ら「変わるべきときが来たら、種全体が一斉に環境に適応するために」、親から子へ、子から孫への突然変異の遺伝というダーウィン説のようなのんきな仕組みなど待たずに、それまで溜め込んできた突然変異を総動員して、体内の多重フィードバックを通して、一斉に変わるという新「主体性の進化論」の成立基盤が、この本にはあり、大変に興味を持った。

 キリスト教の教えでは、人間以外の動物には主体性というものはなく、精巧に出来た機械仕掛けで動くロボットのような存在である。これに対して、人間だけはその精神はもちろん肉体も神が神に似せて創ったものであり、自ら考え、変化する環境に積極的に働きかけることのできる主体性がある。だから、動物の行動を擬人化することはキリスト教圏の欧米では非科学的であり、タブーなのである。逆に、西欧では人間をあらかじめプログラムされた機械として論じたり、解釈したりすることはタブーとなっているようだ。人間機械論はタブー。二足歩行の人間そっくりのロボットがキリスト教圏の欧米ではほとんど研究されず、そうしたタブーのない日本で成功しているのもこうした背景があろう。

 以上、まとめると、

 聖書は言う。人間は神が創った。そして、C.ダーウィンは言う。人間は自然(淘汰)が造った。そして、現代分子生物学は言う。人間はDNAが創った。そして最後に、人間は、悠久の過去に存在した動物や植物の主体性が創った。

                  

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「もの思う鳥たち」とは同じ鳥を扱っていても、取り上げ方が対照的な(つまり、ダーウィン的な)本に
 『フィンチの嘴(くちばし)』(早川書房)
がある。サブタイトルにもあるとおり、「ガラパゴスで起きている種の変貌」について、二十年越しで同島に住んで、嘴の計測から進化の証拠を集めている学者夫妻の記録である。科学ジャーナリストの著作で、1995年の米ピュリッツァー受賞作である。ここには、フィンチたちの「心の世界」は一切出てこない。出てくるのは、嘴の形やその時間変動、生息地の違いによる形の違いだけである。

投稿: 浜ちゃん | 2009年2月22日 (日) 17時38分

「もの思う鳥たち」とは、同じ鳥を扱ってはいるが、取り上げ方がまったく違う、つまり、ダーウィン的な本に
『フィンチの嘴(くちばし)』(早川書房)
がある。サブタイトルにもあるとおり、「ガラパゴスで起きている種の変貌」に焦点が当てられており、「心の世界」は一切出てこない。くちばしの形や長さが生息している島の違いでどう変化するかということが事細かに描かれている。二十年越しの学者夫妻の記録であり、描いた科学ジャーナリストは1995年に米ピュリッツアー賞を受賞している。今まさに、進行中の進化の様子がとらえられたとして、米国などでは話題になった。
 しかし、その計測はきわめて微妙で、研究者夫妻の成果は、彼らが見たいものを見ただけではないのか、という疑問がぬぐいきれなかった。こうあってほしいという研究者の希望が、計測限界ぎりぎりで続けていると、誤った結果が出てくる。科学の世界ではよくあることであり、真偽のほどを確認するには、再検証が必要だろう。

投稿: 浜ちゃん | 2009年2月22日 (日) 17時51分

「もの思う鳥たち」とは、同じ鳥を扱ってはいるが、取り上げ方がまったく違う、つまり、ダーウィン的な本に
『フィンチの嘴(くちばし)』(早川書房)
がある。サブタイトルにもあるとおり、「ガラパゴスで起きている種の変貌」に焦点が当てられており、「心の世界」は一切出てこない。くちばしの形や長さが生息している島の違いでどう変化するかということが事細かに描かれている。二十年越しの学者夫妻の記録であり、描いた科学ジャーナリストは1995年に米ピュリッツアー賞を受賞している。今まさに、進行中の進化の様子がとらえられたとして、米国などでは話題になった。
 しかし、その計測はきわめて微妙で、研究者夫妻の成果は、彼らが見たいものを見ただけではないのか、という疑問がぬぐいきれなかった。こうあってほしいという研究者の希望が、計測限界ぎりぎりで続けていると、誤った結果が出てくる。科学の世界ではよくあることであり、真偽のほどを確認するには、再検証が必要だろう。

投稿: 浜ちゃん | 2009年2月22日 (日) 17時53分

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