市民環境ジャーナル7月号(第36号、2023年、隔月刊)発行のお知らせ

(2023.07.14)  以下の通り、7月15日付で市民環境ジャーナル7月号(2023年、隔月刊)を

発行しましたので、お知らせします。

PDF版は

 

から、ダウンロードできます。

以下は、画像版です。画像のクリック、またはダブルクリックで拡大化、または鮮明化ができます。

 

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市民環境ジャーナル1月号発行のお知らせ

(2020.01.15) 以下の通り、市民環境ジャーナルを発行しましたので、お知らせします。

PDF版は、以下からダウンロードできます。

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市民環境ジャーナル1月号発行のお知らせ

(2020.01.15) 以下の通り、市民環境ジャーナルを発行しましたので、お知らせします。

PDF版は、以下からダウンロードできます。

 

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01_15_0 01_15_101_15_201_15_301_15_401_15_501_15_701_15_801_15_901_15_10

 

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市民環境ジャーナル11月号(2019)発行のお知らせ

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(2019.11.15)  以下のとおり、市民環境ジャーナル11月号を発行しましたので、お知らせします。

PDF版は、以下からダウンロードできます。

 

以下の画像版は、画像のクリックまたはダブルクリックで、拡大化や鮮明化ができます。

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月刊さなるこ新聞デジタル8月号発行のお知らせ(第50号=2019年)

(2019.08.01) 以下のとおり、月刊さなるこ新聞デジタル8月号(2019)を

発行しましたのでお知らせします。

PDFファイルは、以下からダウンロードできます。

 

また、以下の画像版の拡大化、鮮明化は、画像クリックで行うことができます。

 

 

 

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ボランティアによるアフリカ支援  ------  今、何が問題なのか

(2016.09.06)  はやいもので、リオ五輪が終わって2週間がたつ。最終日、小雨の中を各国選手がひた走る花形、マラソンをいまも思い出す。ケニアのキプチョゲ選手が2位を1分以上引き離して優勝、堂々たる金メダルである。

 ● リオ五輪、その華やかさの影で

 2位の銀メダルは、手を高く振り上げながら、というよりもフラフラになっているような姿のエチオピア、リレサ選手だった。さすが、アフリカ勢はマラソンが強いとブログ子は感心した。ところが、

 9月5日付きの地元紙、静岡新聞「核心/核論」

 競技者の覚悟 信念貫いて圧政に抗議

という論説コラムを読んでびっくりした。なんと、英雄になるはずのリレサ選手、選手団の帰国便にはその姿はなく、エチオピア政府の圧政に抗議し、米国に亡命を希望しているのだという。リレサ選手、なにもフラフラになってゴールしたのではない。記事によると、政府への抗議の印として「額の前で両手を交差させるポーズをしながらゴールした」。何に抗議したかと言うと「土地の強制収用を巡り政府への抗議デモが活発化」「90人以上が治安部隊に殺害された」ことに対してらしい。

 ● 信頼にこたえ骨埋める覚悟

 Imgp0071 アフリカの多くの国々は、それぞれに難問や内戦、混乱、腐敗がはびこっている。日本でも、アフリカ支援は喫緊の課題である。

 しかし、JICA(国際協力機構)のシニアボランテイアとしてエチオピアに2年間赴いた辻野兼範さん(浜松市、写真左)によると、

 ボランテイアによるアフリカ支援、たとえばエチオピア支援の現状は、

 場当たり的な短期バラマキ型であり、その支援効果はずいぶんと疑わしい

と先日の派遣報告会で具体的に話してくれた。真の自立のための支援には

 現地の信頼にこたえ骨を埋める覚悟と、日本政府、具体的にはJICAの長期的な援助戦略こそが必要

と訴えていた。

 先日ケニアで開かれた日本が主導するアフリカ開発会議では支援額のことばかりが話題になった。しかし、今、必要なのは、圧政を終わらせ、現地民衆が自覚的に自立に向かうためには、この覚悟と戦略がボランティアや日本政府に求められるのだと辻野さんは強調した。

 ● 「もう一度、エチオピアに行きたい」

 強力な援助が、かえってますます圧政強化に手を貸す結果になってはなるまい。そうならないための自立の第一歩は、継続的で、有効な教育を支援すること。

 現地の教育現場をつぶさに体験してきた元高校教諭の真剣なまなざしから、そんなシニアの熱き憤りを感じた。

 「もう一度、エチオピアに行きたい」

 インタビューを終えた彼の別れ際の言葉だった。

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ペンは剣には弱し 反戦むのたけじの自責

(2016.08.25) 先日、101歳のジャーナリスト、むのたけじさんか亡くなった。コラム子の地元紙、中日新聞では、リオ五輪閉幕という一面トップ記事のなか、下欄コラムはむのさんの追悼だったし、なんと社説もむのさん逝くだった。さすがに第二番目の論説だったが、

 ジャーナリズムを貫く

という主見出しを掲げて、哀悼していた。

 ● むのは番犬を貫いたか

 しかし、ブログ子に言わせれば、むのさんの偉いところは、ジャーナリズムを貫くことが出来なかったことを、隠さずに生涯恥じ、正直に生きたことであると思っている。負け戦だと知っていたのになぜ軍が言うがまま国民に向かって勝った勝ったといい続けてきたのかという慙愧がある。

 ペンは剣よりも強しという言い方がある。言論は武力よりも大きな力をもっているということのたとえである。しかし、むのさんは、自分の従軍記者としての戦争報道の経験から

 ペンは剣には弱し

という忸怩たる思いがあった。検閲についても、当局の意向を忖度し、自主規制し、声を上げなかった。これが日本のジャーナリズムの命取りとなった。

 本当に番犬としてジャーナリズムを貫くつもりなら、終戦とともに朝日新聞社を退社せず、いまからでも遅くないと自責の念を胸に真実を、戦争中に何がおこったのかについて国民に真摯に伝えるべきだった、とある100歳講演会で熱っぽく語っていた。それをしなかった。このことが30年にわたり週刊新聞「たいまつ」を発行し続けたものの、生涯むのさんを苦しめた。

 むのさんのことを一言で言えば、

 反戦自責の新聞人

だった。

 ● 反戦反骨の新聞人、桐生悠々

 これと対照的なジャーナリストとしては、当時、反戦反骨のジャーナリストとしてつとに有名な

 桐生悠々

がいる。金沢生まれだが、晩年は名古屋で

 他山の石

という個人論説紙を、真珠湾攻撃直前に死ぬまで発行し続けた。いわば、

 ペンは剣よりも強し

の面目躍如の晩年10年だった。しかし、彼は軍と鋭く対立した言論人であったことは間違いないが、むのさんとは違って、いかんせん戦争の凄惨さを戦場で直接目の当たりに体験することはなかった。

 ある意味、軍の非を堂々とあげつらったとはいえ、戦争という現実を体験することのなかった幸せな言論人だった。

 一言でいえば、言うは易し、行なうは難し

ということだろうか。

 この二人をならべてつらつら思うに、今の日本の政治に必要なのは

 むしろ桐生悠々型の番犬ジャーナリスト

ではないか。沈黙の自主規制ではなく、声を上げる番犬の勇気である。

 戦争の悲惨さの体験もない。番犬としてほえもしない。これではジャーナリズムは死んだも同然だ。

 むのさんは、自分のようであってはならない、そんなことを言い続けていたように思う。

 これはまた、政治ジャーナリズムだけのことではない。

 科学ジャーナリズム、戦争と科学者

という分野においても、いえることだろう。

 ● 空気を読むことの恐ろしさ

 朝日新聞のむのさん社説には

 たいまつの火は消えず

となっている。たいまつを消さないためには、国民もまた

 空気を読むこと(KY)

の恐ろしさを思い浮かべるべきだろう。

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再出版は現代にどんな課題を突きつけたか  -  ヒトラー『わが闘争』の70年 

(2016.06.15)

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何がトリウム原子炉を封印したのか  -    ウラン炉の開発の陰で

(2016.06.12) 

  再生エネの時代に、脱原発(反)原発でも再稼働でもない液体燃料炉という「第4の道」の可能性。

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二兎を追うコウモリのスゴ技 でもこれは-

(2016.06.08)  異分野融合で新産業という特集を取り上げている

 「JSTnews」(科学技術振興機構、2016年6月号)

を読んでいて、ちょっとびっくりした。

 Image2358 異分野融合というからには、何かと、それとは違う別の分野の成果とを結びつける研究という意味だが、これがなんと、

 夏の夕方によく見かけるコウモリの獲物の動きを効率的に先読みする食虫行動と、自律的に空中を移動できる次世代高機能ドローン技術

との組み合わせなのだ。ドローンは、コウモリ同様、自らは目がないので、今のところ地上からの人間の目を頼りに移動する。次世代のドローンは、超音波を発信、その反響音をキャッチすることで目的物を、人間の目に頼らずとも、確実に追跡できるようになるというわけだ。

 一言で言えば、生物模倣技術

の例である。

 ● 自律型ドローンへの応用

 記事によると、同志社大学の研究グループは、

 コウモリが2匹の昆虫の飛行位置を同時に探知して、双方を確実に捕らえる(効率的な)飛行ルートを設定している

ことを発見した。これにより、一晩に数百匹の昆虫などを捕食するという。

 よく、二兎を追うものは一兎をも得ずという。しかし目は退化してしまったものの、コウモリはその進化の過程で身につけた空中に飛んでいる昆虫などの食虫行動を自ら放つ超音波の反射音で的確にとらえ、獲物を確実に、かつ効率よく空中キャッチする。

 目は退化しているものの、音波でとらえた目の前の昆虫にやみくもに突進するようでは、遠くに飛行する2匹目の姿を、〝見失う〟危険がある。キャッチした時、目の前の獲物が超音波妨害をする可能性が高いからだ。そこで、コウモリは遠くのもう一匹の動きも計算に入れ、出した音波が妨害されないような飛行ルートを瞬時に選ぶ。その上で目の前の獲物に襲いかかり、次いで二匹目も効率よくゲットする。このことを、研究グループはシュミレーションによるモデル計算で明らかにした。

 いやはや、ブログ子は小さい頃、夏休みの夕方、竹ざおでコウモリ獲りを楽しんでいたが、

 コウモリのスゴ技

には、今のドローンよりはるかにすごい。

 進化の見事さに、いまさらながら、驚く。

   それとは別に、ふと思った。

 これは、軍事技術におおいに役に立つだろう

という恐い予想が頭に浮かんだ。そうなのだ。これは明確に軍事技術にもってこいなのだ。防衛省は注目するだろう。

 ● 余談/異聞 コウモリの進化を想像する

  では、なぜ、コウモリは人間の子どもが振り回す竹ざおぐらいで容易に叩き落されてしまうのか。不思議だが、おそらく、進化の過程では

 06_08_1 こうした子どもの大胆な行動

には一度も出合ったことがなかったからだろう。これでは進化のしようがない。竹の棒からもわかるが、コウモリと同じくらいか、それ以上の大きさの(目の見える)生き物が昼間飛んでいたら、コウモリも、今のままではひとたまりもなく捕獲されただろう。

 だから、目で光を受けて獲物を探す必要のないコウモリは夜に行動するものだけが生き残った。また、逃げ惑う小さな獲物ののみを食べるコウモリだけが生き残った。その場合、小さな獲物で命をつなぐコウモリが餓死しないためには、たくさんの獲物を素早くキャッチすることが必要となる。だから、効率的な飛行が進化の過程で必然的に磨かれた。

 逆に言えば、種の間のわずかな構造の違いから、技を磨くことのできなかったコウモリもかつてはいたはず。だが、それらは環境に適応できず、適応種に比べ繁殖率が低くなり自然淘汰で絶滅。目が見えない分、スゴ技が生き残るには必要なのだ。こうして数十種のコウモリだけが、今日まで現生種として残った(のだろう)。

 一言で言えば、コウモリにたとえて恐縮だが、

 目の見えない座頭市が渡世できたのは、多くの周りの目明きの動きを鋭く察知、どうすれば囲まれた多数の襲撃者を、仕込み杖のスゴ技で身を守るため瞬時に切り捨てることができるのか、十分に体得していたからだろう。

 としても、その座頭市といえども、拳銃を持った襲撃者には、そのスゴ技もからきし通じなかったにちがいない(ただ、注意しなければならないのは、コウモリの話は種の進化の問題であり、座頭市の例は種の中の一個体だけの話だということ。これはあくまで、たとえであり、説明に限界がある。正しくは種の進化話では、座頭市的な形質が種内に高い繁殖率から種内に広がっていくというプロセスの説明が必要)。

 そうはいえ、子どもが物干し竿を夕方の空に向かって振りかざすだけで、コウモリがバッタ、バッタと打ち落されてしまったことの理解には役立つといえまいか。

 コウモリに教えを乞うのは謙虚でいい。しかし、ただの真似事だけでは、つまり模倣だけでは有用な自律型ドローンの開発は難しいだろう。自律的で効率的な探知能力とともに、自律的な防御面で人間の知恵や工夫も組み込むことが必要だと思う。

 これこそが、不都合な面も含めてコウモリから謙虚に学ぶということを意味する。

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